ウマ娘 ディス地球 シーキングザパール ストーリー 元ネタ解説

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ウマ娘育成ストーリー元ネタ解説、(ウマ娘に関連したりしなかったりの)競馬記事。育成方法とかお勧めSSRはよくわかりません。

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ウマ娘ストーリー(一覧)

本記事は世界レベル「シーキングザパール」解説です

どうしてここまで世界レベル、奇抜、濃いキャラづけにされたのかモデル馬(元ネタ)の日本馬海外GⅠ初勝利、戦績、エピソード + ウマ娘ストーリーから反映を解説。

個性(行動、演出、思想、理念など)の塊にしてWe are the worldな聖人、パール姉さんの紹介・解説内容。

 

ウマ娘 シーキングザパール キャラクター

 

<ウマ娘 キャラクター>

・世界レベル

・色々と世界レベル

・97年組、タイキシャトルがライバル

・突然、踊り出す

 

モデル馬から元ネタ、理由解説

 

世界レベル

モデル馬がアメリカ育ち、日本で走りながらフランス、アメリカ西・東海岸と海外遠征を度々行ったことから。日本調教馬初の海外GⅠ勝利した競走馬。

 

色々と世界レベル

固有ストーリー内で拍車がかかり海外志向が強いだけでなく、派手・演出が謎・行動がエキセントリック・考え方が世界規模・現実線を持ちつつ世界に希望を届ける使命・リアルすぎる地球儀(もはやオーラの塊)を持つ奇抜な世界レベル姉さん

元々奇抜さのあったウマ娘キャラに癖馬一流に少し届かない成績森秀行調教師の性格要素が加わって実装された形。

 

97年組、タイキシャトルがライバル

同じ94年生まれ97年クラシック組、アメリカ生まれの外国産馬スプリント~マイル馬、1週違いでフランスGⅠを勝つなど共通点が多い。タイキは牡馬、パールは牝馬。

記事リンク   ウマ娘 タイキシャトル ストーリー元ネタ解説

 

突然、踊り出す

世界レベルだから。

 

レース目標

 

現実に近いスプリント~マイル路線。早めから目標レースが多い特徴。

※クラシック期マイルCSのサイレンススズカ、ヒシアケボノは本格化仕様なし

 

~クラシック期 ストーリー

 

メジロ ゾンビ一家との戦い (ジュニア期)

 

パールは早くから同期のタイキシャトルをライバル視していたが仕上がり遅さとゲート試験に2回落ちる残念パーティガール具合。しばらくタイキとは対戦できない。

と思っていたらジュニア期でデイリー杯ジュニアSでメジロブライト、と思ったら次走は阪神JFでメジロドーベルと続々メジロのライバル登場(2人とも現実で同期)。

6人がストーリー実装されている97年組の厚み。88年組に並びトップ、次が5人ストーリー実装の92、98年組。

 

クラシック期

 

クラシック期前半は2400Mまで視野に入れていたが桜花賞NHKマイルCのマイル路線へ。

中央の小林幸子みたいなのがパール

 

夏合宿中は1期下になるエルコンドルパサーと特訓。

現実ではパールの1年後にフランスGⅠ制覇、凱旋門賞2着。

 

パールの世界レベル理念

・レースで世界の人々(特に貧困、チャンスに恵まれない、才能豊かでない人の絶望)に希望を見せること。自分が輝くことを念頭にしていそうであくまで手段。

・夢は叶うとは言えない。ただそれぞれに与えれた才能をどれだけ広げられるかに価値があることを世界に証明したい(タイキのような突出した才能が自身にないことは理解している)。

理念が現実的かつ世界レベル、We are the world パール姉さん

 

喉頭蓋エントラップメント!

ローズステークス出走。

本番の秋華賞でメジロデーベルと再戦に臨む。しかし声の調子が良くなく医者に診断すると喉頭蓋エントラップメント(馬特有の喘鳴症の一種、気道内の突起が原因で気道から空気の取り入れに障害、呼吸が難しくなり競走能力に大きな影響を及ぼす)の診断。秋華賞は回避。

手術は復帰まで時間を要することから行わず、走り続けることを決めるパール。ストーリー内ではこの時点で喘鳴症の影響で好走できる距離がマイル以下に限定される。

 

タイキシャトルと初対決

クラシック期で年内マイル以下GⅠがマイルCSのみのため出走。タイキと初対決

※モデル馬の実績、対戦から見ればマイルはタイキ断然有利、スプリントなら差は縮まる。

 

史実解説 ~クラシック期ストーリー

馬齢は2000年改正表記にしています

生誕 ~ 2歳

 

94年アメリカ生まれの牝馬。父シーキングザゴールド、母ページプルーフ。翌年に輸入され外国産馬扱い。

 

2歳7月に佐々木晶三厩舎でデビュー。

鞍上は基本的に武豊騎手。素質は高く2歳時4戦は全て1600M以下、1番人気。ただこの頃は気性がアレなシーキングザパール。

 

新馬戦:才能のスピードで7馬身差で逃げ切り圧勝

新潟2歳S弁当を買いに行き(スタート後逃避→出遅れ→武豊騎手が冗談で「弁当買い行きよったんです」と答えたことから)3着。実際は当時臆病だった起因。ストーリー内でも反映。メジロドーベルも出走しており5着。

デイリー杯2歳S:才能のスピードでメジロブライトに5馬身差をつける圧勝

阪神JF:よくわからないが4着。1着のメジロドーベルに4馬身差以上離される。

 

2歳時のちぐはぐな結果、癖馬。ストーリーと同じくやたらとメジロ対戦。

 

3歳時 (97年)

 

転厩、3歳前半

年明けの重賞シンザン記念を3馬身差で勝利。

しかし2月に佐々木厩舎から森秀行調教師(海外好きの変なローテ好きおじさん)の元に転厩。一説には馬主と佐々木調教師のレースローテをめぐる対立。

 

転厩後は重賞3連勝でNHKマイルC(GⅠ)勝利。3歳時はスピード一辺倒でなく馬群内競馬もできるようになり成績安定。

 

97年当時規定では外国産馬はクラシック(桜花賞、オークス)出走不可。可能であれば桜花賞は距離から参戦していた可能性が高い(1着キョウエイマーチ、2着メジロドーベル)。

ストーリー上は現規定で桜花賞参戦するが運命的な違和感を感じる(パール的にストレンジなデスティニー)

最近のストーリーはモデル馬記憶引継ぎ(エアシャカール、メジロブライト等)が色濃い傾向。

 

喉頭蓋エントラップメント

当時、牝馬三冠で出走可能な秋華賞を目標。前哨戦のローズS出走するが3着。

しかしモデル馬も喉頭蓋エントラップメント(喘鳴症)発症、秋華賞回避。既にローズS時には症状が出ていた。

 

ストーリーではマイル以下に専念して手術はしなかったが現実は手術、半年以上の休養になり3歳時マイルCSは出走なし。

(喘鳴症の馬が多少緩和されるため短距離に向かう事例はあるが「短距離なら問題ない」とは言いにくい。ダイワメジャーやグランアレグリアは発症後手術している。)

 

シニア期 ストーリー

 

海外遠征を目標

 

シニア期のパールは当初GⅠ高松宮記念(1200M)に出走 → フランスGⅠジャックルマロワ賞(1600M)を目標とする。

しかし高松宮記念後にタイキシャトルも同じジャックルマロワ賞も出走表明。パールもトレーナーもタイキの方がマイル適性、欧州の重い馬場が格上と理解していた。

 

第2の選択肢 

 

トレーナーは海外遠征豊富なシリウスシンボリの資料をもらい、同じフランスGⅠモーリスドギース賞(1300M)を見つける。

・距離が短くパール向き(レースレベルはジャックルマロワ賞より下)。

・タイキシャトルとバッティングせずに済む。

・タイキより1週間レースが早く勝てば海外GⅠ初制覇の栄誉。

レースは両睨み、実力を図るため安田記念でタイキシャトルと再戦へ

 

安田記念出走後 第3の選択肢

 

安田記念は不良馬場固定。レース結果に関わらずジャックルマロワ賞(1600M)は断念。改めてタイキのマイル適性、不良馬場・欧州馬場のような重い芝に適していることを痛感。

 

モーリスドギース賞(1300M)に傾いたが、パールの答えは2レースどちらも回避。理由は、

・1週早い海外GⅠ制覇の栄誉をタイキから盗みとるようになってしまう。

・タイキの出るジャックルマロワ賞(1600M)は無謀。

・タイキから逃げて得た栄誉が「世界に可能性を示す」ことにならない。暗に才能至上主義を認めることになる。

 

単にストーリー中に海外に行かないゲーム的な事情(海外競馬場が実装されていない)もある。海外描写はエンディング後か他ウマ娘の場合しかされていない。

 

タイキにはジャックルマロワ賞にはデスティニーがあると見送るパール。

 

世界王者タイキシャトル凱旋

 

ジャックルマロワ賞を勝利して初海外GⅠの栄誉を手にしたタイキ

海外遠征を回避した代わりに世界クラスになったタイキと国内で対戦。才能はタイキに劣るが、自らの可能性・喉頭蓋エントラップメントのハンデでタイキに勝てることを世界へ示す。ここからスプリンターズS、マイルCSは1着目標

 

「何ができるかアンサーは1人1人の中にある」「今いる場所から一歩フライ」世界中に可能性のメッセージを届けるパール姉さん

パールはカタコト日本語じゃなくて、ルー大柴風。

 

史実解説 シニア期ストーリー

 

4歳 現実も海外遠征を視野

 

喉頭蓋エントラップメント手術後、復帰戦のシルクロードS(GⅡ)勝利。この勝利で森調教師はフランス遠征、ジャックルマロワ賞(1600M)出走計画が立てられる。

しかし、

タイキもジャックルマロワ賞に出走表明

・元々荒れた馬場は苦手な傾向があったが、高松宮記念(GⅠ)、稍重馬場で4着に敗れる。

・大雨の不良馬場、安田記念(GⅠ)は10着惨敗。一方タイキは1着。

タイキとヨーロッパ馬場適性、マイルでの実力差を見せつけられ暗雲。

 

森秀行調教師の逸話

 

しかしパールの運命を変えたのは森秀行調教師(海外好きの変なローテ好きおじさん)。角が立ちやすい、批判も多い人物だが非常に合理主義。

 

<人物と海外好きの変なローテ好き理由>

タイキとの兼ね合いを見てジャックルマロワ賞(1600M)出走を変更。当時格が落ちる、日本で情報の少なかったモーリスドギース賞(1300M)参戦を決定。

・スパルタ、ミホノブルボン輩出で有名な戸山為夫厩舎の元調教助手。93年開業、調教師へ。

・開業2年目でケンターキーダービー(アメリカ)と香港遠征を敢行。

フジヤマケンザン(戸山厩舎から引き継いだ馬)で95年香港国際カップ(GⅡ)勝利。日本馬の36年ぶり海外勝利。

・地方競馬の交流重賞参戦も多い。

・3歳未出走馬を弥生賞(GⅡ)に出走させ20秒以上離された最下位。(おそらく出走手当リターン目的)

・現在増加しているサウジアラビア遠征のパイオニア。

 

ストーリーでトレーナーが必死になって探したモーリスドギース賞を把握済(格は落ちるがレースグレードは同じGⅠ)。まずローテーション、レース体系への知識、判断が圧倒的。

 

モーリスドギース賞(1300M)

 

フランス遠征でモーリスドギース賞に出走したパール、現地人気は5番人気。

逃げて他馬を突き離す競馬、レコードタイムで勝利。日本調教馬初の海外GⅠ制覇の偉業。開催されるドーヴィル競馬場は欧州内ではスピード馬場だが、98年は雨が降らず10年以上ぶりの超高速馬場、天も味方してパール向き馬場になる。

 

ウマ娘ストーリー・現実。ジャックルマロワ賞・モーリスドギース賞がややこしいので一旦整理すると、

 

ストーリーのパールが浪花節的で、森秀行調教師がアメリカン合理主義になる構図…

更にパール勝利後、現地マスコミに「来週はもっと強いタイキが来る」とか言うから単勝人気が1.3倍に膨れる(タイキはジャックルマロワ賞を無事勝利、2週連続日本馬GⅠ勝利)

ただフランス受け入れ先はパール自体の実力が圧倒的でないので慎重に選んでいた森調教師。パールの現実線かつ世界クラス考え方。多少森秀行調教師の影響

 

パールはその後ムーランドロンシャン賞(ジャックルマロワ賞に並ぶフランスの1600M GⅠ)に連戦するも不良馬場もあり惨敗。

 

帰国、タイキシャトルとの対戦

 

帰国初戦のマイルCSは8着。(タイキは5馬身圧勝)

 

次走は当時年末開催スプリンターズS。タイキの引退レース。最後方から上がり最速でタイキを捉えるもアタマ差マイネルラヴに届かず2着。(タイキはこの頃調教を嫌がり丸々太って出走、3着)

 

5歳以降 (99年)

”今宵は踊りましょ” パール

 

森調教師はなぜかアメリカのサンタモニカハンディキャップに出走させる。結果は4着

帰国後の高松宮記念はマサラッキの2着、安田記念後はエアジハード、グラスワンダーの3着。

 

その後はアメリカ東海岸へ。遠征でなく転厩の形、森厩舎・日本競馬所属ではなくなった。

アメリカで2戦して引退。

 

一見ムラがあるイメージだが2歳時以外は海外・遠征帰り・重馬場条件でない限りは着実に好走した成績。

 

繁殖牝馬時代

 

アメリカで繁殖牝馬となる。代表産駒は日本で走ったシーキングザダイヤ。中央、地方ダートでGⅠ2着9回(GⅠ勝利なし)の不思議な成績。管理は森秀行調教師。

 

シーキングザパールは11歳で死去。

落雷が原因とされている。

 

主要勝ち鞍

GI  NHKマイルC(97年) モーリス・ド・ギース賞(98年)

(レース名・グレードは当時準拠)

 

アニメ版

出番なし

 

 

補足 パール前後の日本馬 海外遠征

 

簡単に海外遠征の歴史を黎明期からシーキングザパール(98年)前後を紹介します。特にパールとは関係なし。

 

海外遠征  黎明期~暗黒時代

1909年  日露大競馬会。ウラジオストクで開催、日本馬が50頭くらいがロシア馬と競走。詳細不明。時代でいえばゴールデンカムイ。
1959年 ハクチカラ(日本ダービー、天皇賞、有馬記念)がアメリカへ長期遠征。10連敗、11戦目のワシントンバースデーハンデキャップ(重賞)1着。これが日本馬の正式に残る最初の海外勝利。
1960~1980年代 とにかく勝てない。一流馬を送り込んでも20馬身負けなど当たり前。メジロ、シンボリ軍団、社台グループが取り組んでも勝てない。国際競争のジャパンカップでホーム対戦しても1.5流馬に日本トップクラスが負ける暗黒時代
1986年 シンボリルドルフがアメリカ遠征。しかし初戦サンルイレイステークス中に繫靭帯炎を発症し敗退。そのまま引退。
1985~1987年 シリウスシンボリがヨーロッパ長期遠征。約2年間フランス、イギリス、ドイツ、イタリアで14戦するが勝てず。

 

上記から日本馬の海外遠征は下火になる。

状況を変えたのが当時日本で出走制限(クラシック、天皇賞春・秋等)された外国産馬。活躍の場を求めて海外参戦。GⅠ勝利の口火を切ったのはシーキングザパール、タイキシャトル、アグネスワールド、エルコンドルパサー。全て外国産馬。

 

シーキングザパール前後 海外遠征成績

競走馬 主なレース 結果 備考
1994 スキーキャプテン ケンタッキーダービー(アメリカ) 14着 アメリカ三冠初戦。      調教師:森秀行
1995 フジヤマケンザン 香港国際カップ 1着 前年に続く遠征。36年ぶり(ハクチカラ以来)の海外重賞(GⅡ)勝利。調教師:森秀行
1995 ダンスパートナー ノネット賞(フランス) 2着 左記GⅡ他にGⅠヴェルメイユ賞6着等。         調教師:白井寿昭
1996 ライブリマウント ドバイワールドカップ(UEI) 6着 96年より創設。ただドバイ/アメリカのダートは日本ダートと材質(砂と土の違い)、適性が違う。
1997 ホクトベガ ドバイワールドカップ(UEI) 競争 中止 骨折。現地で安楽死。
1998 キョウトシチー ドバイワールドカップ(UEI) 6着
1998 シーキンザパール モーリスドギース賞(フランス) 1着 日本調教馬初の海外GⅠ勝利。調教師:森秀行
1998 タイキシャトル ジャックルマロワ賞(フランス) 1着 2週連続での日本調教馬の海外GⅠ勝利。
1999 アグネスワールド アベイドロンシャン賞(フランス) 1着 GⅠ直線1000M。   調教師:森秀行
1999 エルコンドルパサー サンクルー大賞典(フランス) 1着 2000M以上GⅠ初勝利。
1999 エルコンドルパサー 凱旋門賞(フランス) 2着 モンジューに半馬身及ばず。3着には6馬身差。日本馬の凱旋門賞再挑戦のきっかけ。
2000 ワールドクリーク ドバイワールドカップ(UEI) 6着
2000 アグネスワールド ジュライカップ 1着 6ハロン直線競馬。  調教師:森秀行
2001 ステイゴールド ドバイシーマクラシック(UAE) 1着 当時世界最強クラスのファンタスティックライトを破る。GⅡ(翌年からGⅠ格上げ)
2001 トゥザヴィクトリー ドバイワールドカップ(UEI) 2着 22年現在もレースでの牝馬最高着順
2001 レギュラーメンバー ドバイワールドカップ(UAE) 9着
2001 エイシンプレストン 香港マイル 1着 香港GⅠ初勝利。後に香港で更にGⅠ2勝追加。
2001 ステイゴールド 香港ヴァ―ズ 1着 内国産馬(日本生まれ)で初の海外GⅠ勝利
2001 アグネスデジタル 香港カップ 1着 調教師:白井寿昭

 

内国産馬(日本生産、日本調教馬)で初めて海外GⅠを勝利したのはステイゴールド。国内でGⅠを勝てなかった競走馬のラストランが内国産馬初海外GIの珍プレー。(日本馬場より香港、ドバイ芝適性がある馬は現在多いが、この馬はおそらく気分)

 

現在はドバイ/アメリカダート、凱旋門賞など鬼門はあるものの当たり前のように海外GⅠラッシュ。香港、ドバイ辺りは日本馬の外貨獲得レース状態。

その先駆けがシーキングザパールタイキシャトル

 

 

97年クラシック組 ウマ娘

 

6頭もウマ娘化した97年組。6人が絡むイベントは多く仲は良い模様。史実は距離適性、活躍期、モデル馬性別が異なりガチガチのライバルというよりは適度な距離感。

ただフリーダム、個性強すぎ、揚げ物だらけ弁当、胃もたれ気味な97年組

 

 

 

下記は6人(ウマ娘化済)の史実対戦成績です。

 

97年組ストーリー解説記事リンク

タイキシャトル ストーリー元ネタ解説

マチカネフクキタル ストーリー元ネタ解説

メジロブライト ストーリー元ネタ解説

メジロドーベル ストーリー元ネタ解説

 

 

他に皐月賞・ダービー2冠の逃げ馬サニーブライアン、有馬記念馬シルクジャスティス、ドーベルライバルのキョウエイマーチ。

スプリント路線はダイタクヤマト、ブラックホーク。ダート路線はメイセイオペラ、ブロードアピール。障害競走にはゴッドスピード。

そして真打ち「世界のステイゴールド」までいる個性豊かすぎる胃もたれ世代

 

 

まとめ

 

超一流の名馬ではないが喉頭蓋エントラップメントを乗り越え日本調教馬初の海外GⅠ勝利した世界レベル。

 

世界レベルの信念(と謎演出)を持ち、現実的に人々に可能性を示した世界レベルウマ娘。

 

 

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