本記事は3着多め、生涯収入6億円+現在も増加中 「ナイスネイチャ」解説です。
後発ウマ娘たちがギャルゲーヒロイン化した原因。初代ナイスネイチャ。なぜネイチャにギャルゲー要素、ムーブを突っ込んだのか、理由をモデル馬(担当厩務員との絆、戦績、現役時の3着感、新しいファン層からの愛され方)から解説。
ネイチャのギャルゲーストーリー化、反映理由を紹介。また、現在も引退馬協会の顔として活躍中のナイスネイチャ(34歳)も紹介します。
こういった方にお勧めの内容。
・競走馬時は知らない
・馬券を買うけどウマ娘はそこまで…
・ギャルゲー主人公になりたかった
ウマ娘 ナイスネイチャ キャラクター
<ウマ娘 キャラクター>
・卑屈、自嘲的、私なんか系女子
・異様にギャルゲー的な言動、行動
・(学生の範疇で)喋り方がおばさんっぽい
モデル馬から元ネタ、理由解説
卑屈、自嘲的、私なんか系女子
善戦ホースの代名詞、3着の代名詞(有馬記念3年連続3着など)、あと一歩GⅠに届かない、名脇役。
トップホースへの憧れ、違いに対する屈折をキャラ化。
異様にギャルゲー的な言動、行動
(1)現役時担当した馬場厩務員(モットーは馬を恋人のように接する)に対して寄せるナイスネイチャの信頼、絆が有名。(後述)。ゲームトレーナーへの言動、行動につながる。
(2)王道トップホ―スと並んで人気が高かった「善戦ホース」ジャンルのパイオニア。頑張るんだけどあと一歩届かない、共感しやすい要素、人間らしい部分が人気につながる。競馬がギャンブルからエンターテイメント、カルチャーに移行した時期に現れた特殊な存在。
単勝1番人気・スポーツ新聞1面などではなくて、栗東トレセントップクラスのファン訪問数・手紙・怪我をした時の千羽鶴の多さ → 商店街的な人間的コミュニティ反映。
(また明石家さんま氏も現役時からファン。テレビ番組でウマ娘ネイチャ育成も発言。)
(3)おそらくシナリオ担当者の方針というか嗜好。
ギャルゲーネイチャ 王道手法
(学生の範疇で)喋り方がおばさんっぽい
・現役期間が長い。90~96年(2~8歳)期間。
・サラブレッド存命馬では2番目(34歳)の長寿、重賞馬としては1番目。(2022年7月時点)
→どこか達観した喋り方
ウマ娘 ~クラシック期 ストーリー
目標レース、ゲーム内スタンス
ウマ娘ナイスネイチャは「私には(トウカイテイオーみたいな)キラキラウマ娘なんて無理ですから」「それなりに頑張りますか」スタンス。
ただ完全に最初から諦めておらず、当然1番にはなりたい、トウカイテイオーに勝つために努力は必死にするタイプ。
主役不在の菊花賞
大きな転機が菊花賞レース直前にネイチャ目標のテイオーが怪我のため、出走取消。
トウカイテイオーのリハビリの様子からネイチャは気づく。
・テイオーが強い理由は才能だけでない→不運に見舞われても何度でも立ち上がる不屈の心。
(史実も「天才」なのは間違いないが怪我から何度も立ち直る「不屈の帝王」の印象が強い。)
・ネイチャの弱さは無意識に「私は平凡、才能がないから勝てなくて当然」自分の弱い心に予防線をつくっていたこと。
史実解説 ~クラシック期ストーリー
馬齢は2000年改正表記にしています
モデル馬は88年北海道の渡辺牧場にて誕生した牡馬。
父ナイスダンサー、母ウラカワミユキ。血統的には平凡。
史実ネイチャのクラシック期は強い馬出てきたな感。
・骨膜炎で皐月賞、日本ダービーできず。
・夏の条件戦から重賞の小倉記念、京都新聞杯まで4連勝。この頃は切れ味鋭い末脚の印象。
(ストーリーでやたらと小倉に行く理由はネイチャ初重賞の地。関西、関東より遠方の九州の方がネイチャらしい推測。)
・クラシック菊花賞(GⅠ)出走。この時期から掛かり癖が出てきており後方待機。レースはスローで流れネイチャには不向きな展開、追い込むも4着。また、テイオー史実は日本ダービー直後に回避表明。
・古馬初対戦の鳴尾記念(GⅡ)1着、有馬記念(GⅠ)3着。
・来年が楽しみな3歳強豪馬という印象。
ウマ娘 シニア期 ストーリー
本質的な自己肯定感が低いので、トレーナーのフォロー・ネイチャの素質を信じる・勇気づけたもあり、少しずつ成長してしくネイチャ。
シニア期の目標レースは宝塚記念、天皇賞秋。
それに1着固定が中日新聞杯(GⅢ)、有馬記念(GⅠ)。
有馬記念ではライバルのテイオー出走。
かつての弱い自分と決別、主人公になるためテイオーに挑むネイチャの物語。
ギャルゲー要素
ネイチャがギャルゲー代名詞と言われる理由
・恋愛感情表現が露骨(ベタベタよりは不器用でわかりやすい系統)。
・初期ストーリー実装ウマ娘(ネイチャ含む)はトレーナーに「これからも(レースとか色々)よろしくね」程度に感情表現を留める中、ネイチャはガン無視。
・そのせいで、後発実装組で恋愛ガイドラインチキンレースが多発。ネイチャのトレーナーへの先頭の景色は譲らない状態。
・と思ってたら、1年後にツインテールチア衣装追加気持ち程度恥じらいのジャージの鬼末脚。
恋愛不器用、面倒くさい系、恋心が方向音痴。そんな昔の弱い自分を乗り越え、アタシの恋愛有馬記念に挑む物語。
ギャルゲー要素 エピソード 一例
・商店街一緒に出かける→カップルと言われる→そんなんじゃないと否定する→照れる→商店街一緒に出かける、確信的な無限ループ。
・レースに勝つとトレーナー折り紙トロフィー → 私っぽくてピッタリ、仕方ないから貰うわ → トロフィー今回はあるの? → くれ! (史実ファンからの千羽鶴がモチーフ)
・ラスト(グッドエンド)では王道。
「トレーナーさんが望んで(私と)一緒にいてほしい」「トレーナーさんの1着だけは誰にも譲れないからっ!」ギャルゲーに関しては王道ヒロインを歩む。
(競馬アプリダウンロードしたのにギャルゲーなんですけど、とメールしたくなるレベル)
史実解説 シニア期ストーリー
善戦、3着との縁深さ 史実
善戦するがG1に勝てない。割と出てくるけど勝てない。
GI通算 15戦
・3歳(91年)
菊花賞4着、有馬記念3着
・4歳(92年)
天皇賞秋4着、マイルCS3着、有馬記念3着
・5歳(93年)
天皇賞秋15着、ジャパンC7着、有馬記念3着
・6歳(94年)
天皇賞春4着、天皇賞秋7着、ジャパンC8着、有馬記念5着
・7歳(95年)
ジャパンC13着、有馬記念9着
・8歳(96年)
天皇賞秋10着
二つ名ともいえる有馬記念3年連続3着。
内容もバラバラ。
91年:圧倒的1番人気メジロマックイーンをマーク。まだまともな逃げ馬だったツインターボがレースを引っ張る。ペースは早くネイチャ向き展開だったが追い込むもマックイーンに2馬身近く届かず。
レースは超人気薄ダイユウサク(15頭中14番人気)勝利、マックイーン2着、ネイチャ3着。
92年:前走ジャパンカップを制した1番人気トウカイテイオーに有力馬(差し馬が多かった)マーク。前はメジロパーマー、ダイタクヘリオス2頭が先頭を奪い合う大逃げ珍事。
ただテイオーは体調悪く、スタート時に怪我をして追走できていない(結果11着)。前2頭はスローペースで走っており有力馬の対応遅れる。
ネイチャはスローペースに掛かっており運良く普段より前目。しかし逃げたパーマー、更に前目にいたレガシーワールドを捉えきれずネイチャ3着。
93年:この年は骨折明け天皇賞秋15着、ジャパンカップ7着から参戦、評価は低く10番人気(91年2番人気、92年4番人気)。
中団待機、1年ぶり出走のテイオーの少し後ろに位置。前年と同じくパーマーが逃げ、3コーナーで1番人気ビワハヒデが仕掛ける。応じるようにテイオー、少し遅れてネイチャも進出開始。直線はビワハヤヒデ、テイオーの叩き合い、テイオー1年ぶり出走で奇跡の復活。おおよそ後方4馬身差でしれっとネイチャ3着。
93年に関しては写真判定結果が画面に出ると笑いが起きてしまう(アタマ差でマチカネタンホイザ)。珍記録ではあるが全く展開、状態、相手の違う中でトップクラス集まる3年連続3着は高い素質ゆえの結果。
競走馬としての特徴
・3歳時は切れ味鋭い末脚を持っていたが、なぜかジリ脚(追い出して初速が鈍い、長くいい脚は使えるが急にトップスピードは難しい、キレの悪い末脚)の代表馬へ。原因不明。
・更に3歳菊花賞頃から掛かり癖が出る → 後方の馬群に控える必要 → ジリ脚なので良く追い込むも1着は取れない → ただ3着辺りには届いてしまうスパイラル。
・得意距離はおそらく2000Mを超える辺り。ただ守備範囲は広い。GⅠのマイルCSで3着、天皇賞春は全盛期に怪我で出走しておらず分かりづらい(94年4着はある)。
・4コーナーで下りになり加速がつきやすい当時の中京競馬場、京都外回りコースは衰えてから/距離関係なく走っていたので得意コース(ジリ脚馬に多い特徴)。ただ相性が悪そうな中山競馬場の有馬記念はなぜか好走。
・良くも悪くも相手なりに走る。絶対的に前の馬を抜かす意識は高くない。(93年阪神大賞典3着など典型レース、1着メジロパーマー自体は強かった)
3着率の高さ
またGⅠでここまで勝負になる馬は、大抵どこかでGⅡは勝つが、4~5歳(92~93年)は勝利なし。どこで走っても3着の多さ。相手なりに走る馬にありがちだが露骨な成績。
競走馬の一般的な全盛期(5歳迄) 成績
出走数 | 1着 | 2着 | 3着 | 3着率 | ~3着内率 | 4着 | 5着 | 着外 | 1-5着内率 |
23 | 6 | 4 | 8 | 34% | 78% | 2 | 0 | 3 | 86% |
2着4回、3着8回、4着以下5回。3着以内78%の安定感と勝ちきれなさ。
3着率34%、ネイチャ以外に使いようのない指標。3回に1度は3着。
競走馬ナイスネイチャ号 レースサイクル
引退後はワイド馬券(2頭選び共に3着以内的中)宣伝ポスターはに起用されてしまう。※99年から導入。ネイチャ現役当時は3着を対象にした馬券は複勝のみ。
中日新聞杯 1着目標レースの理由
なぜかラスト直前でGⅢが1着目標。
史実で94年高松宮杯で久々の勝利 → 現在は1200MのGⅠ高松宮記念に変更 → 当時の高松宮杯と条件が近い(2000M、中京競馬場、GⅠでない)ことから。
高松宮杯差し切り勝利。2年7ヵ月ぶりの1着。この時の大歓声・拍手は通常の勝者に向けられるものでなく、もっと温かで愛された競走馬への賛辞。
栗東のアイドルホース ネイチャ
栗東(トレーニングセンター)の人気はトップクラス。
6歳以降衰えて成績が下降した頃の人気も高い特徴。前述したようにファン訪問、ファンレター、怪我をした時の千羽鶴などはトップクラスと遜色なし。
バブル崩壊後の「頑張った分だけ結果はついてくる」価値観の崩壊。そんな中懸命に走る、でも結果に結びつかないネイチャ。人間らしさと重ね合わせられる新しい価値観のアイドルホース。
馬場厩務員との関係、引退
担当の馬場秀輝厩務員とナイスネイチャの関係は有名。元々気の強いネイチャ。引退後の渡辺牧場でも気は強い(現在は高齢ということもあり大人しめ)。
ネイチャは若い頃は特にやんちゃ、人の言うことに反抗的。
馬場厩務員のモットーは「馬と恋人のように接する」。
<馬場厩務員の人柄>
・ネイチャが反抗しても絶対に怒らない。リード(引き綱)で無理やり引っ張ることもしない。ネイチャが納得するまで気長に優しく接する。
・馬場厩務員に対してネイチャも徐々に「これは分かった」「これは嫌だ」と意思表示、全てに反抗的な性格は徐々に薄れる。
・馬場厩務員は豪快な性格で人当たりもよい。ネイチャファンとも積極的に交流。なぜかパドックに競走馬、騎手でなく馬場厩務員の応援横断幕が掲げられる。
・ネイチャのレース前、栄養素の高いマムシ粉を(もちろんネイチャ賞金は厩務員にも入るにしても)高額なのに大量に自腹購入。
→ウマ娘内のネイチャがマムシ粉好きなのはこの影響。
事情知らないと「何言ってんだこいつ」状態
・「ファンあっての競馬」意識が高い。ネイチャのグッズ化を働きかける(副業目的でなくファンサービス延長、収益は馬場厩務員でなくオーナーやJRA)。当時はファン向け競馬グッズの概念は少なく、オグリキャップぬいぐるみを除けばテレフォンカードなど関係者向けの記念品程度。
・松永善晴調教師(ネイチャ主戦 松永昌博騎手の父親)は職人気質で不愛想な性格。しかしネイチャ、馬場厩務員、ファンの姿を見てファンサービス旺盛な調教師に転身。ファン投票で選ばれる有馬記念の出走回数新記録(5回が当時既存記録、ネイチャも95年出走で5回と並んでいた)。
いつしかネイチャも馬場厩務員には全幅の信頼を寄せる。
勝手に馬場厩務員の後ろをネイチャがついていくのでリードがぷらんぷらん映像が多い、もはやリードが意味をなしていない。
96年の有馬記念直前にネイチャは引退。
出走可能な軽度の怪我ではあったものの、担当の馬場厩務員が万が一を考え(前年のライスシャワー、レース中故障も背景)松永調教師に懇願して了承。
厩務員要望でのGⅠ前引退はまずありえない、松永調教師本人も有馬記念の出走記録を楽しみ、誇りにしていた。馬場厩務員とネイチャの関係だからありえた理由。
故郷の牧場に帰る馬運車に乗るのを嫌がる。馬場厩務員が促しても言うことを聞かない、嫌がるネイチャ。
上記がおおまかなウマ娘、ネイチャの恋愛要素背景。
ただ残念なのは馬場厩務員はネイチャ引退2年後に交通事故で亡くなる。
ネイチャの今の幸せ(22年7月時点存命)は馬場厩務員が競走馬として大成させた、もしもを備えた引退申し入れした背景もある。
主要勝ち鞍
GⅡ 高松宮杯(1994年) 鳴尾記念、京都新聞杯(1991年)
(レース名・グレードは当時準拠)
アニメ版
アニメ2期ではトウカイテイオーの同期、ライバル、友人。
2期2話は異常な出来(91年菊花賞モチーフ)
1期はたまに出る程度。まだキャラクターが定まっていない。「次の毎日王冠頑張ろうぜー」なぜか男口調。
引退後
現在(2022年9月)も生まれ故郷の(浦河)渡辺牧場で、元気に過ごすネイチャ。近況は牧場の方がTwitterで動画、画像などアップされています。
サラブレッドの存命馬では、ダイナセキトに次ぐ2番目(34歳)の長寿、重賞馬としては1番目。
引退馬協会 広報
認定NPO法人引退馬協会のフォスターホース。
会員(フォスターペアレント)の会費を中心に、助成金・グッズ売上・寄付・一般・後援会員の支援により馬の繋養費用を捻出する里親制度で支援を受ける馬。1人、1団体では負担しきれない費用を会員が分割して支援する制度。
引退馬協会ホームページで対象馬掲載。有名馬ではメイショウドトウ、メイショウサムソン、ディープスカイなど。
ナイスネイチャは知名度の高さから広報、認知度浸透の役割を担う代表馬的存在(ネイチャの繋養費用は渡辺牧場、現役時のファンからの支援で引退時より目途は立っていた)。
(引退馬協会ホームページリンク)
※引退馬協会が全引退馬を支援している窓口ではなく、他団体あり。
ナイスネイチャ バースデードネーション
簡素的には、寄付先は認定NPO法人引退馬協会が行う、ナイスネイチャ誕生日お祝い金を元にした引退馬への支援活動。
フォスターホース制度と違うのは時期限定的、誰でもインターネットから寄付が可能な点。
2017年(29歳)から毎年行われており、2020年には176万円の寄付が集まる。
2021年に若干掛かり気味になり、約3,580万円。
2022年(4月16日~5月15日期間)の約5,400万円超えの鬼末脚。
合計約9,000万円。ネイチャの有馬記念(91~93年時)3着賞金は3千万円(3年で9,000万円)。
30年ぶりに同額を稼ぎ出す34歳(しかも2年)。
寄付の用途は他の引退馬への支援目的(ネイチャ、ネイチャ関係者自体に使用されるものではない)。
収支報告や使用用途をホームページで公開。使用例としては引退馬(GⅠ馬含む)が乗馬に再就職できるようなトレーニング、その間の繋養諸費用など。
ネイチャが渡辺牧場帰郷した頃(96~97年)は不況で中小牧場の倒産・縮小、引退馬支援が普及していない時期のため引退馬の処分が続いた。
もちろん現在も処分は続いているが引退馬協会、渡辺牧場、ナイスネイチャの帰郷から風向きが変わり始める。
この話はものすごく長いので割愛させて頂きます。
引退馬のその後、現場状況を描いた『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房から02年出版)が分かりやすい書籍です。
(著作は渡辺はるみさん。現渡辺牧場長、一馬さんの奥さん。88年、獣医学部時のアルバイトで渡辺牧場に訪れ、91年に一男さんと結婚。現在も渡辺牧場勤務。)
まとめ
善戦ホース、3着さん・ワイド・ネタ馬など色々な見方ができる馬。
ナイスネイチャは人から生涯愛され、その愛を後世に紡いだ昭和、平成、令和を生き抜く競馬界のレジェンド、稀な存在。
着、名誉が全てではないことを体現した競走馬。
ネイチャの日本最長距離ステークスは続く。
ウマ娘のギャルゲー化は続く…