ダービー出走不可 ウマ娘 マルゼンスキー ストーリー 元ネタ解説

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ウマ娘育成ストーリー元ネタ解説、(ウマ娘に関連したりしなかったりの)競馬記事。育成方法とかお勧めSSRはよくわかりません。

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ウマ娘ストーリー(一覧)

本記事は「マルゼンスキー」解説です。

存在が反則、同じレース出走したくない、昭和くさい、センスが古い、年齢詐称など言われ放題なウマ娘。

しかしモデル馬は時代、持ち込み馬ルールに苦しめられた不遇の競走馬。マルゼンスキーの史実(圧勝劇、傑出度1位、ダービー出走不可、TTGと叶わぬ対戦、種牡馬・母父として活躍)。

そういった背景のストーリー反映(激マブ姉さん)を解説。

こういった方にお勧めの内容。

・競走馬時は知らない

・馬券を買うけどウマ娘はそこまで…

・読売ジャイアンツの三本柱は小林、新浦、堀内

 

マルゼンスキー キャラクター元ネタ

 

<ウマ娘 キャラター、性格>

・本人はヤングでイケイケでナウいつもりだが、言葉・趣味が昭和くさい。とにかく死語が多い。

・年齢詐称疑惑。ランボルギーニカウンタックを乗り回す。軽車両(ウマ娘)が乗用車を運転。でも他の生徒と同じ制服を着ている、普通にレース出てくる。

・寮ではなく一人暮らし。

・楽しく走りたい気持ちはあるが、クラシック等の大レースにはあまり乗り気でない。

・ただ走るとチート。魔王と四天王の間くらいにいる、強すぎて闘いに飽きた感じの敵キャラみたい。

コスプレではない

 

モデル馬から元ネタ、理由解説

馬齢は2000年改正表記にしています

 

1974年生まれの牡馬。父ニンジスキー、母シル(母父バックパサー)アメリカからの持ち込み馬

(持ち込み馬は母親が妊娠した状態で日本で出産した馬。持込馬については記事下の方に書いておきます。)

 

当時の日本競馬ではほぼ反則みたいな血統。存在自体が異常なレベル。能力もレベルが違い過ぎて8戦8勝、合計で61馬身差の圧勝。しかも脚元が弱く、8戦の中で最高の出来が8割程度でこの成績。

 

ただ当時の持込馬へは国内生産者保護のため出走できるレースが制限。クラシック、天皇賞等は出走できない。当時のトップクラスと戦っておらずライバル不在。

 

ウマ娘キャラ設定の理由

 

・昭和臭いのはウマ娘内でも飛びぬけた古い世代の馬、The昭和馬のため。(ミスターシービーと6歳、シンボリルドルフと7歳、スペシャルウィークと21歳、カレンチャンと33歳離れている。)

 

・史実の異名が「スーパーカー」。そのためランボルギーニが愛車。年齢詐称についてはウマ娘内時空のためそもそもない(運転免許可能年齢も同じとも限らない)。

 

・美浦トレセンは78年開業。それまでは競馬場内に厩舎が併存しておりマルゼンは東京競馬場在住。そのため美浦寮でなく一人暮らし年齢で追い出された訳ではない。)

 

当時の大レースに出走できない制限が、クラシック三冠など関心の薄い一因。(ウマ娘内はパラレル時空のため制限はない、現規定準拠。)

 

外国産馬、持込馬、内国産馬の違い

現JRAの規定。過去の外国産・内国産規定は異なります。外国産馬の規定は2000年から徐々に緩和、現在に至ります。

(持込馬 エピソード)

牝馬パシフィカスが受胎状態で入国、出産したのがビワハヤヒデ、持込馬。弟ナリタブライアンは日本で種付後出産のため内国産馬。(ビワハヤヒデは北海道で出産予定だったが検疫の遅れで福島県で急遽出産、福島産馬になる。バナナだけじゃなくてブドウとか喜多方ラーメンも食べよう。)

 

1974(昭和49)年の世相

・田中角栄内閣総辞職。

・巨人V10ならず。長嶋茂雄が現役引退。

・落合博満、東芝府中に入社。

・お菓子ルマンド、小梅がヒット。

 

ウマ娘  ~クラシック期 ストーリー

 

<目標レース>

 

レベルの違いから同期ウマ娘のメンタル破壊させる、マルゼンスキー出走レースを回避していく。

マルゼン昭和姉さんは心痛める。レースに積極的になれない直接的な理由。

「楽しく走りたい」はライバル不在、結果的に同期の夢を奪いたくないことからの言葉。

 

史実解説 マルゼン 舐めプ伝説

 

カラー映像で見れてしまう蹂躙、レジェンド。活躍する時代を10~20年は間違えてしまった競走馬

・脚元が弱く調教も慎重。最も高い8割に仕上げた1976年の2歳チャンプ決定戦2着に13馬身つけてしまう2歳レコード勝利、14年間も更新されず。※朝日杯3歳S(現朝日杯FS)。

 

ウマ娘 スプリングSが5人しかいない理由

タイムオーバー(1着馬から一定のタイム差をつけられるとペナルティで定められた期間出走できない)を他陣営が恐れて頭数揃わずレース不成立寸前が多発。他調教師から「タイムオーバーにはしないでくれ」で何とか成立。

実際に頭数揃わず不成立レースもあり。マルゼン3歳時の4レース中3回が成立ギリギリ5頭。脚元が弱い以前に本気出せない。

 

・ウマ娘の日本ダービーで大外18番に固定理由

当時の1977年日本ダービーも持込馬のため出走できない。主戦の中野渡清一騎手の「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらいい。この馬の能力を確かめるだけでいい。」と話したのは有名。(77年ダービーはフルゲート基準が違い28頭立てで実施。)

 

・日本短波賞(現ラジオNIKKEI杯)第3コーナーで突然失速→故障ではなくマルゼンがレース終わりの誤認→後続に詰め寄られて再加速→7馬身差の勝利。2着は当年菊花賞馬になるプレストウコウ

(2012年阪神大賞典でのオルフェーヴルに近い。オルフェーヴルは完全に抜かされて再加速、僅差2着。)

 

・唯一の古馬対戦。まずマルゼンの適性距離でないダート1200Mで10馬身差つけてしまう

 

・結果的に同期馬は「マルゼンスキーのいない敗者復活戦」扱いでその後の評価を落とす、引退後も不遇な馬が多い。皐月賞馬ハードバージはホースショーとなり酷使、体調悪化、日射病原因で14歳死去。

→ウマ娘内で同期に心痛める理由。

ただ8割以下で走っていただけなのに。

 

3歳時に屈腱炎を発症、引退ウマ娘内のシニア期は完全なIfルート

引退式でのファンの横断幕「語り継ごう お前の強さを」は今でも残るマルゼンスキーを的確に表したフレーズ。

 

ウマ娘でサクラチヨノオーを可愛がる理由

自身の産駒。出走が叶わなかった1988年のダービー馬。

 

1977(昭和52)年の世相

・リニアモーターカー、世界初の試験走行成功。

・白黒テレビ放送が廃止。

・落合博満、都市対抗戦に補強選手として出場(ドラフト指名は翌年秋)。

・アイドルはキャンディーズ、ピンクレディが人気。

・後の横綱千代の富士はまだ十両(サクラチヨノオーの馬名由来)。

 

名前わからないけど流行ってたスカーフ

 

ウマ娘  シニア期 ストーリー

 

自分が走ることで夢を諦める、傷つく人がいる。もう自分は走らない方がいいのかもと悩むマルゼン昭和姉さん。

自分の背中を追って憧れてくれる後輩の存在を知る。グラスワンダーとスペシャルウィーク。憧れの背中になるため走ることを諦めないマルゼン

 

シニア期では打倒マルゼン姉さんを掲げたグラスワンダー(安田記念)、スペシャルウィーク(天皇賞秋)との対戦

98年クラシック黄金世代との闘い。

 

それと大阪杯でシンボリルドルフと対戦。

 

史実解説 シニア期ストーリー 元ネタ

 

引退したので元ネタなし。

ウマ娘内ライバル設定の理由、対戦が予定されていた1歳年上のTTG(当時のトップ3頭)、種牡馬活躍、孫(スペシャルウィークなど)を解説。

 

<ウマ娘ライバル枠の設定>

 

・グラスワンダー

97年朝日杯でマルゼンと同じくレコード勝利。マルゼンスキーの再来、怪物二世と呼ばれる。グラスも他馬を引き離すレース、出走制限がまだ残っていた外国産馬。

グラス固有ストーリーでもマルゼンを目標にしている。

 

・スペシャルウィーク

マルゼンスキー産駒の牝馬キャンペンガール、その子供がスペシャルウィーク。史実ではマルゼンスキーの孫になる

 

史実  TTGとの幻の対戦 反映説

77年時にマルゼンが出られるレースは宝塚記念、有馬記念。1歳上のTTG3頭と対決期待されたがマルゼンスキー屈腱炎で引退で対戦なし

 

TTG:76年クラシック世代のライバル3頭三強、黄金世代として有名。舞台、時期、状況は異なるが、TTGにプレストウコウ(マルゼンスキーと対戦時は舐めプで7馬身差敗北)に約6~7馬身離されている。物差しプレストウコウ。

同じ黄金世代のグラス、スぺが叶わなかったTTG史実の代役

 

トウショウボーイ:中距離快速馬(皐月賞、有馬記念、宝塚記念)。日本馬として初めて2000M 1分58秒台記録。種牡馬としてもマルゼン同時期に活躍。代表産駒にミスターシービー、ダイイチルビーなど。

テンポイント:人気、悲劇性でも有名(天皇賞春、有馬記念)、トウショウボーイのライバル。トウショウボーイ引退レース77年有馬記念、マッチレースを仕掛け初勝利。その後、日経新春杯中の故障が原因で死去。(関西テレビが「全馬の無事完走を祈って」と日経新春杯でスタート前後に実況する理由。)

グリーンクラス:3頭の中でステイヤー気質が高い(菊花賞、天皇賞春、有馬記念)。菊花賞で2頭に勝利。上記77年有馬記念で唯一2頭についていけた馬。

 

固有スキル  3頭揃うと1~3着独占力

76年菊花賞 1着グリーングラス 2着テンポイント(2・1/2馬身) 3着トウショウボーイ(2・1/2馬身) 4着コーヨーチカラ(アタマ)

77年宝塚記念 1着トウショウボーイ 2着テンポイント(3/4馬身) 3着グリーングラス(4馬身) 4着アイフル(6馬身)

77年有馬記念 1着テンポイント 2着トウショウボーイ(3/4馬身) 3着グリーングラス(1/2馬身) 4着プレストウコウ(6馬身)

 

プレストウコウはマルゼンスキーが舐めプ(一度止まりかけ再加速)して7馬身差負け。

単純に考えるとマルゼンスキー>TTG>プレストウコウ。ただプレストウコウの適正距離(基本ステイヤー)、成長具合、マルゼンが止まらない場合の着差が不確定。唯一、勝負できていたTTG、もちろんマルゼン圧勝もありえる。

 

種牡馬、母父(祖父)として

 

産駒に4頭のGⅠ馬輩出。ダービー馬サクラチヨノオー。菊花賞馬も2頭。

マルゼンは1800Mまでしか走っていないが距離適正がもっと長めだったのではと思うレベル。

 

祖父(母の父) ブルードメアサイアー

スぺの他にライスシャワーウイニングチケットメジロブライトにあたる。

ウマ娘内でも特に可愛がり、イベント多め。

バブリーランドにて。マルゼン、スぺ、チケット。

 

本人は好意からランボルギーニで(史実の孫をドライブに連れていくが運転が荒く不評。孫スぺは脚が震える。

俊川たづなは拒否る、トレーナーは気絶。

例外 春眠暁を覚えず娘

 

現役馬でマルゼンの血統つながりは三冠牝馬デアリングタクト(スペシャルウィーク経由)、21年大阪杯レイパパレ(ウイニングチケット経由)など。

 

 

2022年の世相

・ヤマニンゼファーの声優さんがお菓子ばかうけ箱買い

・アイドルはスマートファルコンが人気(ファン集計3兆人)

・リニアモーターカー 東京~名古屋間まであと5年予定

・落合博満(推しの)マルゼンスキー育成予定

 

主要勝ち鞍

朝日杯3歳S (1976年)

(レース名・グレードは当時準拠)

 

アニメ版、漫画シンデレラグレイ版

アニメ1期では98年クラシック組(スペシャルウィーク、グラスワンダー他)を見守る。

「同期っていいわね」。羨ましそう。

 

漫画シンデレラグレイ版はクラシック登録規則でダービーを閉ざされたオグリキャップと自分を重ね合わせる。

「走ったレースに後悔はない。けどたまにどうしても想像しちゃうの。あの時ダービーで出ていればどうなっていたのか」この言葉がシンボリルドルフの心を動かしURA中央諮問委員会に「下らない規則」「愚蒙」と後押し。(しかし当年中では規則は変わらず。勝利したのは史実通りマルゼン産駒サクラチヨノオー。)

 

まとめ

 

「語り継ごう お前の強さを」

 

人々の記憶、血脈として継がれたマルゼンスキー

 

ウマ娘内では当時では叶わなかったレースに自身の圧倒的な背中を見せる。後輩が憧れる、追い越す存在になる物語。

 

ほぼ半世紀後に昭和くさいお姉さんとして語り継がれる。

 

 

 

 

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