天才肌、気分屋元ネタ ウマ娘 マヤノトップガン ストーリー解説

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ウマ娘育成ストーリー元ネタ解説、(ウマ娘に関連したりしなかったりの)競馬記事。育成方法とかお勧めSSRはよくわかりません。

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ウマ娘ストーリー(一覧)

本記事は「マヤノトップガン」解説です。

天才肌、気分屋、幼さ残るウマ娘。そのキャラ理由をモデル馬と主戦田原成貴騎手から理由を解説。

モデル馬の自在脚質とも呼ばれるレーススタイル、戦績、96年阪神大賞典のナリタブライアンとの勝負etc 史実(元ネタ)からウマ娘ストーリーへの反映理由を紹介。

 

とりあえず抜擢された「トップガン マーヴェリック」の公式宣伝パイロット活動も紹介。

 

ウマ娘 マヤノトップガン キャラクター

 

<ウマ娘 キャラクター>

・天才肌

・気分屋

・飛行機好き

 

モデル馬から元ネタ、理由解説

 

天才肌

・モデル馬のあらゆる位置取り、脚質(逃げ、4コーナー先頭、先行差し切り、追い込み)でGI勝利できる稀有な才能

・主戦だった田原成貴騎手。怪我、血縁バックボーン、積極的に騎乗回数を増やしていないので勝利数はズバ抜けたものはないが、関係者から評される天性的な騎乗センス(ただ通算1,000勝、全国リーディングも獲得)。

 

気分屋

モデル馬が気性は悪く気分屋気質出たとこ勝負、気分を見ながら騎乗。田原成貴騎手も96年頃を中心に気性に苦慮。

 

飛行機好き

馬名由来の映画トップガンから。ウマ娘内でも勝負服がパイロット風、航空用語をよく使う、父親がパイロット。

モデル馬現役時95~97年は上映から時間も経過し、名前を使用しただけだった。なぜか21年にトップガン公式Twitter上でマヤノ誕生日お祝いツイートをもらう(一応の理由、後述)。

 

デビュー ~クラシック期 ストーリー

 

トレーニング嫌い、ブライアンとの出会い

 

「マヤ、つまんない」

天才ゆえに一度で理解できるため継続が苦手なマヤ。そのためトレーニングもつまんないと行わない。また、モデル馬通り気分屋の面が強い。

 

しかし模擬レースでナリタブライアンと対戦したマヤ。レース中に新しいことがわかる、わからないことが増えて、ブライアンに届かない、興奮するマヤ。

ブライアンに勝つため、わからないことを理解するためのトレーニングの意図と解釈したマヤ。トレーナー契約を結ぶ。

 

目標レース

 

 

マヤ、落合博満はよくわかんないよ

 

元プロ野球選手・監督の落合博満氏は自身番組でウマ娘、マヤノトップガンを調教したと語る(孫からの紹介)。

育成方法は「練習あるのみ」。ハード調教。マヤが疲れたと言ってきても練習あるのみ。三冠に縁が深いマヤ。

マヤの訴えは無視される

 

落合氏の推しはマルゼンスキー。ハード調教はマルゼン姉さんへも行われる予定。

 

菊花賞~有馬記念

 

「マヤ、ワクワクしちゃった」

菊花賞に出るもどこか物足りないマヤ。戦って楽しいと思える相手がいない(史実でも菊花賞は強豪が揃わなかった)。

性格からムラ、気分屋でやる気の乱高下が激しいのが特徴のウマ娘

(落合博満氏の現役時、オープン戦で毎年低調なのは開幕以降に向けて仕上げているので、マヤとは異なる。)

 

有馬記念三冠ウマ娘、ナリタブライアン(とヒシアマゾン)公式レース初対決。ブライアンの強さにワクワクしたマヤブライアンの姿に憧れる。レース後取材時に割り込んで次走阪神大賞典での対決を申し出る。

なぜか「あの2人はどうも放っておけないね」姐さんポジションに収まるヒシアマ姉さん。

(初対決といえば87年開幕戦、落合博満氏は当年よりセリーグ(中日)移籍。巨人、西本聖投手は全球シュートを投げ込み1安打のみ。試合は完封。セリーグの意地とパリーグ三冠王のプライドの戦い)

 

史実解説 ~クラシック期

馬齢は2000年改正表記にしています

 

マヤ、ダートはよくわかんないよ

 

92年生まれの牡馬。父ブライアンズタイム、母アルプミープリーズ。名前の由来は冠名と洋画「トップガン」。

95年1月にデビュー。デビュー後しばらくはダート1200M中心にふにゃふにゃした成績。後から考えるとトップガンの完全適性外、ただ脚部不安から脚に負担の少ないダート選択。

 

マヤ、わかっちゃった 95年後半

 

脚元もよくなり芝中距離以上で成績が安定。この頃より鞍上は田原成貴騎手に固定。当時の3勝クラスを勝利 → 菊花賞トライアル(神戸新聞杯・京都新聞杯)で連続2着。

 

本番の菊花賞は本命不在の混線、トップガンは3番人気。4角で強気にまくり先頭を奪い、そのまま突き離し勝利

 

有馬記念はナリタブライアン、ヒシアマゾンらがいたことから6番人気。逃げを打ち、展開もスロー。そのままハナを譲らず勝利。レース後、田原成貴騎手は後輩と約束していた投げキッス披露(当年の凱旋門賞でデットーリ騎手がしていたため)。ウマ娘トップガンの勝利時投げキッスの元ネタ。

何かふにゃふにゃした戦績だが95年の年度代表馬に選出

投げキッスをするマヤ

 

ウマ娘 シニア期 ストーリー

 

阪神大賞典

 

史実で名勝負となった阪神大賞典(ブライアンが強化され負け確定気味イベント)。

ここでの勝敗にも関わらずどこかブライアンの様子がおかしい、釈然としないマヤ。観戦に来ていたヒシアマ姉さんに次走(天皇賞春)を聞き出し再戦へ。

なぜか「乗りかかった舟だ、これからトレーニングだ。」とヒシアマ姉さんと師弟トレーニング発生(そんなにステータス上がらない)。

 

天皇賞春

 

3度目の対戦となる天皇賞春

レース以上に注目を浴びたのはブライアンはレース前に天皇賞春後から次走有馬記念まで調整期間に入るとマスコミに発表。

 

~シニア時有馬記念まで

 

天皇賞春後の目標レースは史実96年と同じく、宝塚記念天皇賞秋、そしてブライアン出走の有馬記念

 

途中でマヤは怪我で全盛期の力がなくなったブライアンが自ら引退を決意しているのではと感じ取るマヤ。(現実のブライアンは95年秋以降は怪我で低迷。96年天皇賞春→高松宮記念出走後、屈腱炎発症で引退。)

 

有馬記念 ブライアンと再戦

 

この頃には以前のムラッ気もなくなり、レース、ブライアンとの再戦に夢中。

本番の有馬記念では全力のブライアン相手に勝利。目標だったブライアン打倒、夢を叶える。

 

レース後、引退式を行なおうとするブライアン。

しかし、ストップをかけたのは勝者マヤ。「まだ対戦したいから」など子供のワガママで撤回要求の暴挙に出る。「勝利して悔しがらせ自分みたいワクワクさせたい。そして自らはブライアンのようなキラキラウマ娘になりたい。」という理由も子供らしい。

 

困惑するブライアンだがルドルフ会長、観客、そしてブライアン自身、誰も引退を望んでいない。マヤの子供のような言い分が本質だった。引退会見は中止、マヤの宣戦布告会見に変更。引き続きブライアンは現役続行

(選手、ファンの気持ちといえば2004年プロ野球再編問題、選手会ストライキ。中日、井端選手は選手会会長。しかし中日は優勝がかかっておりストライキが長引けば無効も、複雑な立場。井端選手に落合監督は「優勝がなくなってもいい。世の中にはそれ以上に大切なことがある。思いっきり選手会として戦ってこい。」と励ます。自らの保身より、選手とファンの気持ちを最優先した落合監督。)

 

史実解説 シニア期ストーリー

 

96年 GⅡ阪神大賞典

 

年が明けてうっかり伝説のレースに遭遇するマヤ。天皇賞春の前哨戦、GⅡ阪神大賞典前哨戦GⅡ、しかも土曜日なのに阪神競馬場6万人の盛り上がり。

相手はナリタブライアン。怪我から復帰後、天皇賞秋→ジャパンカップ→有馬記念はふにゃふにゃした成績、しかし着順は少しずつ良くなっている。

 

95年年度代表馬トップガンと94年年度代表馬ブライアン、父も同じブライアンズタイム対決。下地は整っていた。杉本清版では「カメラ(2頭が画面に入るよう)寄ってください」実況。

先に仕掛けたのはトップガン、残り1000Mからのロングスパート。ブライアンもついて行き、残り600Mからは2頭が馬体を併せたマッチレース。どちらも引かずにゴールへ、アタマ差のみ出ていたブライアンの勝利。阪神競馬場は大歓声、豊コールも起きる盛り上がり。96年ベストレースの声も多い。

16年後、同じく三冠馬がセルフ名勝負するのは別のお話。

 

後にただのGⅡ、ブライアンは全盛期の力はない、トップガンも前哨戦で仕上げも万全ではない等と言われているが、3着を9馬身も離した長い叩き合いは名勝負認定。

田原成貴騎手は20年東京スポーツ取材で「ふた呼吸待てばクビ差勝っていたよ。あのレースはxxxより後悔しているね(笑い)。」と談話。リップサービスとはいえ笑えない。

 

96年 天皇賞春~宝塚記念

 

本番の天皇賞春では早め先頭も伸びずトップガン5着ブライアン2着、勝ったのはサクラローレル

(マヤストーリー時点で同時期三強サクラローレルはビジュアル化前。打倒ブライアン中心にストーリー進行。)

 

96年宝塚記念は前年の阪神淡路大震災の復興支援競走。2年ぶりの阪神競馬場開催。

トップガンの馬主は地元神戸市、田所病院院長であった故田所祐氏。弟夫婦を震災で亡くし、病院にも被害。「マヤノ」は神戸市の摩耶山から取られている。

このレース、トップガンは先行して直線抜け出し勝利

 

マヤ、わかんなくなっちゃった 96年後半

 

ブライアンが引退、この頃より古馬三強(マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデー)を形成。全てウマ娘化されている。

秋初戦のGⅡオールカマーで先頭抜け出すも垂れて4着(1着ローレル)。

天皇賞秋は差して2着(1着は3歳バブルガムフェロー、3着ローレル、4着マーベラス)。

年末のGⅠ有馬記念。先頭に並びかけようとするも再び垂れて7着(1着ローレル、2着マーベラス)。このレース馬券売上、875億円は現在もギネス記録。

 

天皇賞春でもそうだったが、先行しては垂れる(伸びない)レースが多かった96年のトップガン。

それと96年天皇賞秋までナイスネイチャが普通にいる光景。(ウマ娘ネイチャがマヤ、マーベラスの姉的ポジションにいるのはこの辺りの時代関係9

 

97年  長射程ミサイル AIM-54発射

 

97年初戦の阪神大賞典。普段と違い最後方からの競馬。4コーナーで先頭に立ち1着。(三強参戦はトップガンのみ。)

96年は気性、気分屋の悪い部分が出てきたマヤ。田原成貴騎手が苦慮悩んだ末の脚質転換。

そもそも逃げたり、先行まくりはトップガンの気分が大きい。最後方進出は要約すれば先頭に立つとトップガンが競馬を辞める(飽きる)から。

 

本番の97年天皇賞春では三強揃い踏み。

ローレル、マーベラスが先行する中、トップガンは後方、直線を向いた時点でもまだ8~9番手。直線で大外から末脚発射。ゴール前2頭を捉えて勝利、当時の3200M世界レコード

「え、こんな競馬する馬だったの?」感。

逃げ・先行で通してきた馬が脚質を変えて複数のGⅠを勝利した稀な例、それに対応したトップガンの天性の才能。

 

97年秋に屈腱炎を発症して引退。

 

主要勝ち鞍

GⅠ 菊花賞、有馬記念(95年) 宝塚記念(96年) 天皇賞春(97年)

(レース名・グレードは当時準拠)

 

引退、種牡馬時代

 

種牡馬としてはGⅠ馬こそ出せなかったものの多くの重賞馬を輩出。

 

種牡馬引退後、19年に27歳で老衰で亡くなる。

 

アニメ版

 

アニメ2期。テイオーと同室。

同室理由はお互い天才肌、どちらも田原成貴騎手鞍上で有馬記念を勝ったこと。田原成貴部屋。

96年発売 田原成貴氏 CD「THE ROCK」

 

とにかく寝てる、とにかく。唯一のセリフが「ウマスタに上げちゃおー」。アニメ2期時間軸がまだ91~93年。

 

映画トップガン 宣伝パイロット就任

 

21年3月24日「トップガン」公式ツイッターから唐突なマヤノトップガン誕生日お祝いツイート(競走馬とウマ娘両方に向けたコメント)。

21年8月にトップガン マーヴェリック」の公式宣伝パイロットにマヤノトップガン就任が正式発表。

(マヤはわかんないので、各種事前イベントの仕事は自身の声優、星谷美緒さんに投げる)

 

22年5月、公開に併せて行われるジャパンプレミアムイベントにトムクルーズ来日。一緒に「ユーコピー」「アイコピー」やり取りをしたいと言うマヤ。ただ忙しいので星谷美緒さんに再度投げる。

星谷美緒さんからすれば(親会社レベルからの)グローバルなムチャぶり。

トムクルーズ来日。星谷美緒さん含む4名、ウマ耳つけてインタビューへ向かう。「ユーコピー?」「アイコピー!」してもらう。←トムクルーズ氏の従来対応、代理店調整を考えればまだわかる。

ゴルシのYoutube「ぱかチューブ」でマヤ、ゴルシ(アニメ絵)がトップガンのテーマ曲「デンジャーゾーン」を日本語発音(びぎんゆぅとぅたっちんご~、は~いうぇ~いとぅ~ろ~でんじゃ~そ~ん)で歌う。←身内番組内ノリなのでわかる。

・上記に対し歌手ケニー・ロギンス本人がビデオレターが来る。「マヤ、ファンタスティック」「一緒に歌いたいね」。全く映画トップガンの話題触れないし、ビデオが個人撮影レベル←????

誰がどんな経緯でインタビューしたのか不明な内容。基本メディア露出は少ない。「YouTubeでジャパニーズポニーガールがケニーの歌ってたよ」って知人に言われたの?マヤわかんないよ…

 

ケニー・ロギンス 経歴

70年代にロギンス&メッシーナとして活動。アルバム9枚、米国西海岸ロックシーンを牽引。後にソロとして「二人の誓い」がヒット。

80年代には映画サントラ「トップ・ガン」が全米のみで700万枚、「フットルース」も全米のみで900万枚売上。サントラ界のレジェンド。

作曲家としてもアン・マレー、ドゥービー・ブラザーズ等への提供が有名。

 

まとめ

 

幼さはそのままに、天才肌のトップガンに火をつけたブライアンに挑む物語。そしてブライアンもマヤに心動かされる。

 

・三冠王、落合博満氏が三冠ウマ娘に挑む物語。

 

・声優、星谷美緒さんのよくわからないまま進む世界的シンデレラストーリー。

 

田原成貴氏のCD「THE ROCK」(96年発売)全5曲のミニアルバム。カラオケバージョンありの10曲収録。メルカリで中古(税込600円)販売中。稀少、廃盤 (22年8月10日時点)

 

 

 

 

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