ウマ娘 武豊の水色両想い スーパークリーク スト-リー元ネタ解説

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ウマ娘育成ストーリー元ネタ解説、(ウマ娘に関連したりしなかったりの)競馬記事。育成方法とかお勧めSSRはよくわかりません。

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ウマ娘ストーリー(一覧)

本記事は母性強め「スーパークリーク」解説です。

ウマ娘スーパークリークの母性・甘やかしたがり・ほとんどママ、そうなった理由を新人時代武豊騎手との出会いから解説。

モデル馬の逆指名、武豊騎手初GⅠ勝利、オグリキャップのヒール役etc → ウマ娘ストーリーへの反映理由・背景紹介。

 

ウマ娘  スーパークリークキャラクター

 

<ウマ娘 キャラクター>

・母性が強い

・甘やかしたくてしかたない、でちゅね遊び

・タマモクロス、オグリキャップと仲がいい

 

モデル馬から元ネタ、理由解説

 

母性が強い

武豊騎手の初GI馬、全国区にした競走馬スーパークリーク。2013年JRAのCMキャッチコピーが「天才を天才にした馬」。ある意味では30年以上競馬界のレジェンド武豊を育てたモデル馬の由来、連想。ストーリーはトレーナー=武豊騎手の重ね合わせ。

他ストーリーよりトレーナーが新人扱い強調、クリーク自身がトレーナーの成長を喜ぶ、見守る特殊仕様。もはやママ。

 

甘やかしたくてしかたない、でちゅね遊び

武豊騎手のクリークへの溺愛ぶりから反映。クリークのために他の騎乗依頼を断る、(子供や動物に対して行うような)赤ちゃん言葉(でちゅね等)でクリークへ話しかける武豊騎手が由来。ウマ娘クリーク=武豊騎手=トレーナーの複雑仕様。

クリークの母性、甘やかしたがりは他のウマ娘向けにも見られるが対トレーナーへの想いが一番強い。

 

タマモクロス、オグリキャップと仲がいい

3頭が88年有馬記念で対戦。84年生まれタマモクロス、85年生まれクリーク、オグリと世代が近い。

(89年以降はタマモクロス引退。クリーク・オグリ・イナリワンで平成三強と称されるがクリークストーリーにはイナリワンはほぼ登場しない。)

 

~クラシック期 ストーリー

 

ストーリーでは他のトレーナーからのスカウトを断りプレイトレーナーを逆指名するクリーク

(出会ってから約3分7秒前後、菊花賞時タイムに近い)

シナリオ特異点はとにかく武豊(ウマ娘プロモーター)騎手要素が強く表れていること

 

序盤でクリークを諦め切れない一流(ベテラン)トレーナーからお互いの担当ウマ娘で模擬レース → 負ければクリーク担当は降りてもらうと圧力 → 結果クリーク圧勝。無様で滑稽だがクリーク素質、プレイトレーナーとクリークの想い・絆をわざわざ強調してくれる一流演出。

 

目標レース

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デビュー戦 ~ クラシック前半

 

目標レースがメイクデビュー → すみれ賞(クリークの希望)。すみれ賞は現実で武豊騎手が初騎乗、勝利したレース。

しかしすみれ賞後に体調不良、バッドステータス「小さなほころび」(常にトレーニング失敗率5%アップ)になる。医師からは軽い血行不良だがよくわからないので対処はトレーナー、ぶん投げ。下記のどちらかで菊花賞まで過ごす。

・レースを菊花賞まで出さない

・トレーニングがしにくい状態なのでレース出走、3冠路線(難易度は高くない)

マスコミは「トレーナーが未熟の新人だからクリークを潰した」と後々の展開を考えればいい感じで煽ってくれる。

 

菊花賞 ~ クラシック期有馬記念

 

菊花賞出走、このレースでクリークが本格化を迎える。「小さなほころび」が治る。

クラシック期有馬記念ではシニア王者タマモクロス、同期の怪物オグリキャップと三強対戦。

 

史実解説 ~クラシック期ストーリー

馬齢は2000年改正表記にしています

デビュー ~ 武豊初騎乗

 

85年生まれの牡馬。父ノーアテンション、母ナイスデイ、母父インターメゾ。時代に逆行したステイヤー、天皇賞春を意識した配合。

87年12月にデビュー、血統からも2000M以上しか使わないローテ。88年3月、5戦目すみれ賞で当時2年目、19歳になったばかりの武豊騎手鞍上で勝利。(武豊TVでは乗る前は印象になかったけど強く菊花賞向きの武豊騎手の印象。)

 

しかしその後調教で骨折、秋まで休養になる(バッドステータス「小さなほころび」理由)。

 

88年 菊花賞

 

復帰後のクリークは神戸新聞杯3着 → 当時の菊花賞トライアル京都新聞杯は致命的な不利があり6着。賞金加算ができず菊花賞は回避馬が出ないと出走自体できない状況

武豊騎手は他に騎乗可能馬がいたがクリーク固定(出られなければ菊花賞自体に参加しない)。この時クリークと一蓮托生した理由は2つ

(1)JRAポスターのヒーロー列伝「逆指名」より。迷っていたので)クリーク含めて菊花賞出走可能馬を見て回る。クリークが袖をくわえて「自分と一緒にいればいい」と言わんばかりに自分に乗ればいいとアピール。

(2)武豊TVではクリークの伊藤修二調教師が「いいから(乗れ、走るから)。」と逆指名

どちらにしてもウマ娘と同じく武豊騎手は逆指名

 

その後、マイネル軍団岡田総帥の持ち馬を出走辞退(クリーク血統配合に関与)、他に1頭怪我で回避馬が出たため出走可能に。

本番菊花賞では第4コーナー前までは7~8番手に位置。直線を向いた時には狭い最内を突き5馬身差の1着

(菊花賞は京都外回りコース使用。内回りコース合流点までにラチがない部分を利用して最内進出。96年菊花賞ダンスインザダークと合流点は近い騎乗。)

 

武豊騎手、最初のGⅠ勝利。クリーク自体がこの頃から「馬が良くなった」状態にはあったにしても2年目、19歳とは思えない大胆、精密な騎乗。このレースでクリークと共に名前が全国区へ。

 

88年 有馬記念

 

有馬記念は1番人気タマモクロス(当年GⅠ3勝)、2番人気オグリキャップ(当年重賞6勝、GⅠは2着,3着)、3番人気サッカーボーイ(函館記念、マイルCSを圧勝)の豪華メンバー。

クリークは4番人気。レースはメジロデュレン(マックイーン半兄)の進路を斜行で妨害、失格処分(3位入線)。

武豊騎手はそのレースの失格と他レースの処分累積でJRAより再教育指示。お寺に座禅へ行かされる。

 

シニア期 ストーリー

 

シニア期前半

 

前半目標レースは大阪杯天皇賞春

 

トレーナーとクリーク、母性で曖昧になっているがただの色ボケカップル、しかもトレーナー無自覚系統がタチの悪い。

初期実装組で恋愛要素が強いクリーク(武豊補正)、ナイスネイチャ(謎補正)。

天皇賞春で対戦するタマモクロスが(完全に冗談で)「トレーナーをコテンパンにする」発言に普段はものすごく温厚なクリークが真に受けて「絶対にさせない…」魔王モードになってしまうくらいトレーナー愛が強い。

魔王クリークのほころび

 

シニア期後半

 

天皇賞秋ではオグリキャップと対戦。

マスコミからオグリキャップ(既に国民的ヒーロー)のヒール役扱いにされる。トレーナーは抗議しようとするもクリークは怒らない。ぎこちないながらもヒールの演技に乗っかる。

 

シニア期有馬記念、グッドエンド

有馬記念では再びオグリキャップタマモクロスと対戦。

ただ世間の風向きが変わっておりクリークを応援。過去のレース動画(ウマチューブ)で見たクリークがヒールではないと理解した結果。

史実は本当にヒール扱いだったが優しい世界、というよりは当時ほどテレビ・新聞の主導性、影響、意味がなくかった軽い皮肉。

 

グッドエンドではその後、クリークは性格はそのままだが異様に強くなり魔王クリークへ。

こういうラストはぼないので武豊騎手エンド、武豊騎手自体のその後、活躍描写。

 

史実解説 シニア期ストーリー

 

89年前半は筋肉痛等で休養。

オグリキャップも同じく休養。タマモクロスは88年で引退。代わりにイナリワンが天皇賞春、宝塚記念GⅠ連勝で主役。

 

復帰したGⅡ京都大賞典ではほとんど追わずに勝利。2着に3/4馬身、3着に大差のレコード勝利。

 

レース10分前(ターフビジョンを見た観客の)歓声で毎日王冠(東京競馬場、オグリキャップ・イナリワン・メジロアルダンら出走)でオグリキャップが勝利したと武豊騎手は確信。それほどオグリキャップ人気は絶頂を極めていた。

 

89年 天皇賞秋

 

この時期はクリークオグリイナリワン平成三強が抜けている存在。

(クリーク、オグリストーリーではイナリワンの代役をタマモクロスへ。初期ストーリー実装時にイナリワンがレース実装すらされていなかった影響。)

天皇賞秋が全頭揃う最初のレース。当時武豊騎手は関東の観客から「関西の若造」「有馬記念の降着はいい気味」と見られていたと話す。そんな東京競馬場で3番手追走クリーク。内側には絶好位を走るメジロアルダン、後ろにはオグリ。直線入り口で合法的、ルールに問題なくオグリの進路を封鎖、オグリは外目に進路を取り直す。

アルダンより僅かに優勢、外からオグリが追い込んでくるがしのぎ切りクリーク1着1~3着がクビ+クビ差。よくオグリの騎乗ミスと言われるレースだが誘発したのはクリークの4コーナーからの動き。イナリワンはムラが強く6着。

 

オグリキャップのヒール役

このレースでオグリのヒール役になってしまうクリークと武豊騎手。ストーリーのように優しい世界ではなく嫌がらせ、自宅に手紙など。1ヵ月にはオグリキャップ急遽参戦、マイルCSでバンブーメモリー騎乗でヒール役続行武豊騎手。

オグリに罪はないが人気、ヒーロー性が強すぎた余波。現在なら今村聖奈騎手とGⅠ勝利した馬がヒール役にされているような想像難解状況。

(ただクリークの出走しない安田記念、有馬記念(90年ラストラン)でオグリに騎乗、2戦2勝)

 

ジャパンカップ、有馬記念

 

次走ジャパンカップはオグリとともに4番手辺りを追走。外国馬イブンベイの超絶ハイペース、先行馬がそのまま潰れずに外国馬ホーリックスが1着(2分22秒2の世界レコード、同タイムでオグリ2着)。クリークは4着に敗れる。あとイナリワン11着。

 

年末の有馬記念。ハイペース気味(1100M1:06.5)な展開、オグリ2番手、クリーク3番手。直線入り口ではオグリをかわし先頭、勝ったかと思ったらイナリワンが追い込みクリークはハナ差2着。オグリは5着。

 

90年 天皇賞春

 

始動のGⅡ産経大阪杯を勝利。

 

天皇賞春では昨年覇者イナリワンと対戦。3~4番手追走、直線前からスパートするクリーク。マークしていたイナリワンの追撃に耐えて1着天皇賞春を意識した血統を証明。

 

その後

 

宝塚記念を予定していたが筋肉痛で回避。秋には凱旋門賞出走も計画されていたが取り止め。

 

秋に復帰、京都大賞典を連覇。

しかし繋靱帯炎を発症し引退。

 

主要勝ち鞍

GⅠ 菊花賞(88年) 天皇賞秋(89年) 天皇賞春(90年)

(レース名・グレードは当時準拠)

 

補足 平成(永世)三強 対戦

 

ウマ娘内では永世三強呼び。スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワン3頭。89年から90年前半の古馬王道GⅠをほぼ独占(タマモクロス含めると88年秋から独占)。

・GⅠは計10勝。オグリ4勝、クリーク3勝、イナリワン3勝。内、1,2フィニッシュ関与4回。

・武豊騎手がGⅠで7勝。

・2頭以上出走したレースは7回。3頭揃い踏みは3回。

 

平成三強が2頭以上出走したレース

スーパー  クリーク オグリキャップ イナリワン 備考
88 有馬記念 失格 1 ※3位入線、斜行による失格
89 毎日王冠 1 2
89 天皇賞秋 1 2 6
89 ジャパンC 4 2 11 外国馬 ホーリックス勝利
89 有馬記念 2 5 1
90 天皇賞春 1 2
90 宝塚記念 2 4 オサイチジョージ勝利

 

史実馬スーパークリークとの出会い

 

おそらく武豊騎手はクリークとの出会いがなくても時期、変遷が変わるだけで日本のトップジョッキーにはなれていた。

ただ有名になるのが遅れ第2次競馬ブーム(オグリキャップ、平成三強、武豊騎手が牽引)で武豊の人間立ち位置、新時代の象徴、メディア発信源、広報の重要枠割が間に合わなかった。人気ギャンブルスポーツで留まり、人気エンターテイメントにはならなかった可能性はある。

・オグリキャップのラストラン有馬記念、スペシャルウィーク、デイープインパクト、キタサンブラック、ドウデュースなどに騎乗していない可能性。

・競馬ゲーム(ダビスタ、ウイニングポスト等)が異様に売れる、4大少年誌全てに競馬漫画が掲載まで至らない可能性。

・一過性で後世代が続かないので「擬人化、60km以上で走り魂は引き継ぐ、ただ全員女の子です」聞いてもよく意味がわからないコンセプトがあったか微妙。

 

アニメ版、漫画シンデレラグレイ版

 

アニメ版1期6話の学園祭でオグリ、タマモクロスとドーナツ大食い対決。88年有馬記念モチーフ展開。

 

漫画「ウマ娘 シンデレラグレイ」(オグリキャップを主役とした87~90年軸のストーリー、世界観はアプリと共通)では普段は温厚、プリティ。ただレースではクリーク魔王になる仕様(作風自体がバトル漫画に近いものがある)。

22年10月2日時点では89年京都大賞典後、天皇賞秋前。

 

ウマ娘 シンデレラグレイ

(集英社 ヤングジャンプ 公式URL)

 

 

まとめ

 

13年JRA菊花賞CMに採用されたクリーク。キャッチコピーは「天才を天才にした馬」「本当の出逢いなど一生に何度あるだろう」。

オグリキャップのヒールでもない、武豊騎乗の最強馬かはわからない。ただ間違いのは武豊騎手とその後の競馬界の運命を変えた名馬。

 

基本的に顔の大きい競走馬。

公衆の面前で甘やかしてくる尊厳破壊ウマ娘。

 

 

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